サラマウア

1920年代に内陸部のワウで発見された金鉱山の積み出し港、および鉱山夫の拠点として栄えた。

太平洋戦争中の1942年3月8日、日本陸軍がこの地に上陸しポートモレスビー攻略の拠点とした。翌1943年9月11日、米豪連合国軍が再占領した。再占領の際の戦いで町は破壊された。

今日ではケラとラグイの村には、主にラエ在住者の別荘が多く建つ。

ハルフォード・マッキンダー

海洋国家イギリスに生まれ育ちながらマッキンダーがランドパワー論者となったのは、大陸国家の勢力拡大への脅威から海洋国家イギリスを如何に守るかという戦略のあり方について研究の重きを置いたことによる。

マッキンダーの理論では、そもそも大陸国家と海洋国家は相性が悪いということが基本原理となっている。海洋国家はけして攻撃性の強いものではないが、隣国の勢力が強くなることを忌み嫌う。大陸国家は外洋に出て、新たな海上交通路や権益の拡大をしようとすれば、海洋国家はそれを防ぐべく封じ込めを図ろうとする傾向を持つ。そうしたことから大陸国家と海洋国家の交わる地域での紛争危機はより高まる。

マッキンダーは1900年代初頭の世界地図をユーラシア内陸部を中軸地帯(ハートランド)、内側の三日月地帯、外側の三日月地帯とに分け、「東欧を支配するものが、ハートランドを支配し、ハートランドを支配するものが世界島を支配し、世界島を支配するものが世界を支配する」とした上でイギリスを中心とした海軍強国が陸軍強国による世界島支配を阻止すべきだと論じた。

ラテン文字

ラテン文字はアルファベットの一種なので、ラテン文字を「アルファベット」と呼ぶこと自体は間違いではないが、アルファベットはギリシア文字やキリル文字なども含む総称である。また、「ローマ字」はラテン文字の別名だが、日本語を表記したときに限定して使うことがある。

基本26文字を英語の表記に使ったとき、「英字」と呼び、特に「英字新聞」という語でよく使われる。ただし、他の言語に対し同様の表現(仏字など)が使われることはまれであるが、「欧字」という表現がJISの規格票等に見られる。

ミェチスワフ・カルウォーヴィチ

ヴィリニュスに生まれる。父親ヤンは歴史学者で音楽家。少年時代に主にドイツ語圏で過ごした後、ワルシャワでヴァイオリンを学び始めるが、後に体力・気力の面から演奏家を断念。1894年にワルシャワ音楽院でノスコフスキに、1895年から1901年までベルリンでハインリヒ・ウルバンに作曲を師事。1906年から1907年まで指揮をアルトゥール・ニキシュに学ぶ。ドイツ留学中に作品1~作品6までの初期作品を作曲。

タトラ山脈にあるカルウォーヴィチの墓標。 墓標の表面に鉤十字が描かれているが、これは過去のポドハレ地域の民芸品に共通して見られた紋様であり、ナチスとはまるで関係がない。 帰国後はポーランド音楽協会の役員として組織の再建に大きく寄与するが、当時の退嬰的なワルシャワの音楽的環境に耐え切れず、1907年に転地療養をかねてタトラ山脈中の小都市ザコパネに転居。この頃から健康面がすぐれるようになり、意欲的に数々の交響詩の作曲を続けた。ワルシャワ時代の作品として、作品9~11までの交響詩が挙げられる。

松竹ロビンス

1936年は春季、夏季、秋季の3シーズン制であり、大東京軍は5勝34敗3分の成績を残しているが、連勝をしたことが1度もなかった。通年で連勝がなかったのはこの例だけである。勝率は.128に過ぎなかった。ただし、このシーズンのみ、地域ごとに行われたリーグ戦とトーナメント戦の寄せ集めであるため、1シーズンの勝率記録としては扱われていない。
また1936年秋季の9月28日から11月22日まで16連敗を記録。これは1リーグ時代の最多連敗記録である。この記録は1970年にヤクルトアトムズが並んだが、1998年にパ・リーグの千葉ロッテマリーンズが18連敗を記録し、現在の日本のプロ野球記録となるまで、実に62年間も破られなかったということになる。

ひまわり

ひまわり1号から5号までのGMSシリーズの衛星本体はヒューズ社のスピン衛星バス HS-335(GMS-1)および HS-378(GMS-2 – GMS-5)に観測機器や通信機器を搭載したものである。

基本的にアメリカの静止気象衛星GOES-4 – GOES-7の類似機で、NECが主契約者として担当し、主に米ヒューズ社(現在はボーイングスペースシステムズ社)が製造したものであるが、徐々に観測機器を国産化してきた。

大行天皇

大行は「大いなる行い」を意味し、ここでは死去した天皇への顕彰を表す語として用いられている。また、「逝きて帰らぬ天皇」の意味があるともいわれている。

明治時代に一世一元の詔により定められ、昭和時代に元号法によって法定された一世一元の制に基づけば、天皇在位中の元号をもって追号とされることが通例である。ただ、追号が贈られるのは大喪の礼に先立って行われる追号奉告の儀を執り行ってからである。そのため、『大行天皇』の称号は、追号奉告の儀以前の段階に於いて用いられる。使用例としては、崩御した前天皇の名を官報に掲載する場合や、新天皇の御誄(おんるい、弔辞)などがある。

各宗教団体の機関紙などでは「大行天皇の追悼法要営まれる」などと掲載されている。例えば、仏教教団において位牌をたてる場合などには、追号が贈られるまでは白木や紙で仮の位牌を立てたりして法要を営む場合もある。

オクタビオ・パス

メキシコ・シティ出身。進歩的文化人だった祖父の影響で文学的関心を深め、19歳で処女詩集『野生の月』を発表している。1937年、内戦下のスペインで開かれた反ファシスト作家会議に参加。翌年に帰国してからは、新世代を代表する作家として精力的な執筆活動を開始する。1944年にアメリカに留学、翌年にはパリに渡る(この時、アンドレ・ブルトンらの知遇を得る)。

1946年には外交官になり、ヨーロッパ各国を転々としながら『弓と竪琴』『孤独の迷宮』などを執筆する。しかしメキシコシティオリンピック直前に起こった反体制デモに対する政府の弾圧に抗議してインド大使の職を辞し、その後はケンブリッジ大学やテキサス大学、ハーバード大学などで教鞭を採りながら執筆活動を展開した。ノーベル文学賞ほか多くの賞を受賞し、自身の主宰する雑誌「ブエルタ」(es)も、1993年にアストゥリアス皇太子賞コミュニケーション及びヒューマニズム部門を受賞した。

グリコ・森永事件

1985年8月7日、ハウス食品事件で不審車両を取り逃がした滋賀県警本部長が自身の退職の日に本部長公舎の庭で焼身自殺をする。遺書は残されていないが、一般に失態の責任を取ったと解釈されている。ハウス食品事件の失態の責任を全て負わされたことに抗議するための自殺だったとする説もある。本部長はノンキャリアからの叩き上げであった。

8月12日、犯人側から「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」との終息宣言が送りつけられた。理由は、その5日前に自殺した滋賀県警本部長への香典代わりというものだった。

脅迫状の届いた会社の一つであったハウス食品工業社長の浦上郁夫はこの事件の終息を同社の創業者・前社長であり父親にあたる浦上靖介の墓前に報告するために8月12日に日本航空123便に搭乗し、日本航空123便墜落事故に巻き込まれこの世を去った。

この終息宣言の後完全に犯人の動きがなくなった。

ゲオルギー・ガポン

ガポンはポルタヴァ地方の富裕な地主の家に生まれ神学校で学んだ。妻の死後サンクトペテルブルクの大学で神学を専攻し1903年に卒業した。

ガポン神父はサンクトペテルブルクの労働者を集め、労働者組織を作り上げた。組織の目的は産業革命が始まりつつあったロシアの労働者の権利を保護し、モラルと信心を高める事にあった。組織は規模を急拡大させ、12の支部に8,000名の構成員を数るまでになった。