グリコ・森永事件

1985年8月7日、ハウス食品事件で不審車両を取り逃がした滋賀県警本部長が自身の退職の日に本部長公舎の庭で焼身自殺をする。遺書は残されていないが、一般に失態の責任を取ったと解釈されている。ハウス食品事件の失態の責任を全て負わされたことに抗議するための自殺だったとする説もある。本部長はノンキャリアからの叩き上げであった。

8月12日、犯人側から「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」との終息宣言が送りつけられた。理由は、その5日前に自殺した滋賀県警本部長への香典代わりというものだった。

脅迫状の届いた会社の一つであったハウス食品工業社長の浦上郁夫はこの事件の終息を同社の創業者・前社長であり父親にあたる浦上靖介の墓前に報告するために8月12日に日本航空123便に搭乗し、日本航空123便墜落事故に巻き込まれこの世を去った。

この終息宣言の後完全に犯人の動きがなくなった。